みなさま、こんにちは。
ここ最近メンタル系の記事ばかり書いております、ちるです。
ここ最近悩むことが多くてですね。
過去に自分が悩んだ時にどう思ったのか、どう対処したのか。
自分のことでも覚えてるようで覚えてないことって多いので、今の私はこう思うってのを残しておこうと思いまして。
数年後見返して、同じ悩みに直面した時に違う考えや対処法をしてたら面白いだろうなぁ。
なんて今からちょっと楽しみ。
過去と今と未来の自分。
心の成長の備忘録だと思って書いてます。
気をつかってと言われたきっかけ
今回のテーマは”気をつかう”ってことについて。
なんだか難しいテーマな気がしますが、私の中で思うところがあったので書き留めておきます。
先日、仕事中に上司から「もう少し周りを見て気をつかって」と言われたのがことのきっかけ。
急になに??がその時の本音でした。
話を聞いてみると「他の人が雑務(ごみ処理)をしていたのに、あなたは率先してやるどころか手伝いもしなかった」ということ。
このごみ処理は当番が決まってるわけでもなく、気づいた人がやるスタイル。
確かに気づかなかった私が悪いし、会社では下っ端の私がやるべきことだったと思います。
初めて人から「気をつかって」と言われました
私サイドの話をするのであればごみ置き場と私の席が離れたのでその時は本当に気づいてませんでした。
という醜い言い訳はさておき。
この時私は人から「気をつかって」って言われたのが人生初で結構な衝撃を受けました。
だって、私は今までは周りから「気つかいすぎて疲れない?」「そんなに気張らなくていいからね」って心配されるのがデフォルト。
周りにそう言われ続けてきて約30年。
人並みには気がつかえる人間だと思って過ごしてきました。
なので、”気をつかえない人”のレッテルを貼られるなんて思ってもみませんでした。
見える気づかいと見えない気づかい
気がつかえてると思ってたのは私の驕りだったのかと凹んだのもつかの間。
頭に浮かんだのはこの言葉。
そもそも”気をつかう”ってなに?。
”気づかい=人に優しくする・親切にする”ってイメージ。
じゃあ、具体的に優しくするってなんだ。
って考えると頭の中を色んな考えがぐるぐるして正解なんて分からない。
- 電車で席を譲ること?
- 重いものを代わりに持つこと?
- 苦手なことを代わりにやること?
分からん!
じゃあもう逆に考えよう!
過去に私が「気つかいすぎてない?」と心配されてたとき、私なにしてたっけ?って思い返してみました。
- 備品をこっそり補充しておく
- 風邪気味の人がいたらその人の分まで積極的に動く
- 共有スペースが散らかってたら片づける
- 他の人が当番を忘れてたらこっそりやる
今思い出せる限りではこんな感じでしょうか。
書き出してみて気づいたんですけど、私がやってることって基本人に気づかれないことばっかり。
こっそりが多いんですよ、こっそり!!
と言うのも、私自身手伝ったときに相手から直接「ありがとう」って言われるのがちょっと……もにょっとしちゃうんですよ(拗らせ)
お礼を言われるため手伝ったわけじゃないのに!
お礼を言わせることで逆に相手に気をつかわせてしまった感が出るの苦手なんですよ!!
だから、私がやったことは基本誰も気づかなくていい。
でも、見てる人はちゃんと見てるからその人たちが評価してくれる。
褒められるためにやった訳じゃない、だけど褒めてくれる人がいる。
不意打ちで褒められるのめちゃくちゃ嬉しいですよね。笑
とは言うものの気づかいを無視され続け静かにキレた話↓
気づかいは強制するものじゃない
総括としては、もちろん私にも反省すべき点はあります。
気づかなかった私が悪い。
でもね、私は聖徳太子じゃないから。
周りの人が何してるか常に把握して自分が手伝ったり、雑務をぜんぶ私が気づいてやるとか正直無理。
それに、本当に気がつかえる人はストレートに他人に「気をつかって」なんて言わない。
せめてもうちょっとオブラートに包むと思う。笑
気づかいは人に強制するものじゃなく、当人の好意から起きること。
そう考えると、あの時上司が言った「気をつかって」は”私の思い通りに動いて”って意味だと邪推してしまう。(私がその上司に苦手意識があるから故の偏見かもしれませんが)
今回の件は、自分の至らない点を再認識する機会でもあり、自分をちゃんと見てくれてる人に改めて感謝する機会をくれたのだと思います。
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